フランキー・デラクルーズ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1956394 / CC BY SA 3.0
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フランキー・デラクルーズ(Frankie de la Cruz、本名:エウロジオ・デラクルーズ・マルティネス(Eulogio de la Cruz Martinez)、1984年3月12日 – 2021年3月14日)は、ドミニカ共和国・サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。
登録名の「フランキー」は愛称である。
NPBでの登録名は「エウロ・デラクルス」(Eulo De La Cruz)。
CPBLでの登録名「馬丁尼茲」。
2001年にデトロイト・タイガースと契約。
2007年6月18日の対ワシントン・ナショナルズ戦(ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム)の8回表から登板してMLBデビューを果たす。
結果は1イニングを投げて無失点だった。
同年12月、ミゲル・カブレラ、ドントレル・ウィリスとのトレードでフロリダ・マーリンズに移籍。
2008年はマイナーリーグで先発として13勝を挙げる。
後にサンディエゴ・パドレスに移籍した。
2009年はAAA級ポートランドで主にリリーフとして48試合に登板したが、ともにMLBでは結果を残せなかった。
2009年12月14日にNPBの東京ヤクルトスワローズに入団することが発表された。
推定年俸は1,500万円。
なお、この時、ハイチ地震の影響でアメリカ合衆国でのビザの発給が遅れ、ヤクルトの春季キャンプに6日ほど遅れてしまうという出来事があった。
同年は9試合に登板し0勝0敗、防御率7.84という成績だったが、年齢が若く伸びしろが期待できることから残留の可能性もあった。
しかし、ヤクルトが抑えの林昌勇の引き留めに高額の費用を投じたこともあり、割を食う形で11月30日にトニー・バーネット、ジェイミー・デントナ、李恵践らとともに自由契約となり、退団した。
2011年1月12日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結ぶ。
8月11日にMLBに昇格し、11試合に登板した。
2012年3月16日にウェーバーでシカゴ・カブスに移籍する。
MLBに昇格することなく退団した。
8月18日からシーズン終了までCPBLの統一セブンイレブン・ライオンズでプレー。
11月16日にキャンプ招待選手として再度ブルワーズとマイナー契約を結んだ。
2014年4月1日にメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズと契約。
7月1日にFAとなる。
オフはドミニカ共和国のウィンターリーグでプレー。
2015年は所属球団なく、オフにベネズエラのウィンターリーグに参加。
2016年はイタリアンベースボールリーグのネットゥーノ・ベースボールクラブと契約。
2017年3月30日にメキシカンリーグのサルティーヨ・サラペメーカーズと契約。
2018年もサルティーヨ・サラペメーカーズでプレーした。
7月17日にFAとなった。
7月31日にメキシコシティ・レッドデビルズと契約。
同年限りでレッドデビルズを退団。
2019年4月3日にラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約。
2020年も引き続きコットンファーマーズに所属したが、COVID-19の影響でシーズン中止となったため、公式戦での出場は無かった。
2021年のシーズン開幕前の3月14日に心臓発作のため37歳の若さで死去。
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