マカオのシンボル聖ポール天主堂跡、マリア様を祀る教会です
66段の階段を登った先にある大きな教会の壁は、堂々としており迫力も満点。1582年から1602年にキリスト教のイエズス会が建てた教会で、アジア最大の教会でした。
日本は、1582年織田信長が没し、1600年は関ヶ原の戦いです。
マカオには弾圧からのがれた多くの日本人キリスト教徒がいました。そして聖ポール天主堂の建築にもそれら日本人が携わっていたそうです。ファザード(正面の壁)の4層目には、菊の花の彫刻があります。また地下墓地には宗教遺物と共に建築に携わった日本人信者の遺骨も収められています。
ポルトガルの文化と中国の文化を融合させた街並みは20以上の建造物や広場と共に、ユネスコ世界遺産「マカオ歴史地区」として登録されています。
世界歴史遺産セナド広場
セナド広場は何世紀にもわたってマカオの街の中心であり、現在も公共のイベントや祝典が開催される最も人気のある広場です。民政総署や三街会館(関帝廟)のすぐそばという立地は、地元の中国人社会が積極的に行政に関与していたことを物語っており、マカオ文化の多様性を知ることができます。広場はパステルカラーの新古典様式の建物に囲まれており、波形模様の石畳が調和のとれた雰囲気を醸し出しています。セナド広場中央に地球儀のオブジェがある噴水があります。
レアル・セナド・ビル(現「市政署」)
1784年に建築された建物は、マカオの民政総署「マカオ市庁舎」。ビルの名称は「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)。1654年にポルトガル王ドン・ジョン4世がマカオを褒め称えた言葉。「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」に由来するそうです。レアル・セナド・ビル(現「市政署」)は壁、レイアウト、屋上の庭に至るまで当時のまま。二階に公式行事などで使用される議事室、ポルトガルのマフラ宮殿の図書館を模した重厚な図書館と、小さなチャペルがあります。中には青いポルトガル式のタイルがあり、フォトスポットとしても大人気,
聖ドミニコ教会
1587年、メキシコのアカプルコから来た3人のドミニコ会スペイン人修道士によって建てられた教会です。ロザリオの聖母が祀られています。1570年台、ヨーロッパはキリスト教国を滅ぼそうとするトルコ帝国の脅威にさらされました。ヨーロッパ同盟軍はこれに対抗、1571年ギリシア・レパントの海戦でトルコ軍の艦隊を全滅。キリスト教徒がオスマン・トルコ軍に対して勝利を収めたのです。この勝利は、ロザリオの祈りによってもたらされた聖母の助けによるものと信じられています。
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