ニホンピロウイナー(Nihon Pillow Winner)のショートmadです。
マイルCSを連覇、安田記念とのマイル春秋連覇を果たしたマイルの皇帝です。
この年はスプリント戦線が見直され、ハンデ戦だった安田記念がG1に、新たにマイルチャンピオンシップが新設となりました。その元年のマイルチャンピオンシップ初代王者となり、翌年の安田記念、マイルチャンピオンシップで春秋連覇を果たしました。
父はスティールハート、母はニホンピロエバート、母父チャイナロックという血統です。父は名マイラー・ハビタットの産駒で母父にイギリスの歴史的スプリンター・アバーナントを持ち、自身も芝6ハロン(約1200m)の2歳GⅠミドルパークSを制した生粋の短距離馬、母ニホンピロエバートはクラシック2冠馬キタノカチドキの半妹で、フロリースカツプの末裔という良血馬でした。
そんな血統のニホンピロウイナーは新馬戦を優勝後3連勝でデイリー杯3歳Sを制覇。しかし、暮れの阪神3歳S(このころは牡馬牝馬混合)では2着に敗れ。、3歳になってから初戦のきさらぎ賞を勝利してクラシックに進むもスプリングS、皐月賞と惨敗。早々にクラシックをあきらめて短距離路線へと進み、オパールSからCBC賞まで怒涛の3連勝を飾りました。(なお、この年の最優秀スプリンターを受賞している)
その後は短距離戦線で大活躍します。特に京都では無敵で7戦7勝と強く、他も短距離路線では強く、同期の三冠馬シンボリルドルフと比較され、
マイル以下であればニホンピロウイナーよりも強い扱いされていました。
それゆえついた称号はマイルの皇帝。圧倒的な強さを見せました。
途中で産経大阪杯に挑むもここで敗れ、距離延長は断念。
しかし、1600mのマイラーズカップ、1400mの京王杯スプリングカップでは1番人気に応え優勝。5月12日にはマイルGI安田記念に勝利しました。秋は毎日王冠から始動して同レース4着の後、天皇賞(秋)に出走。このレースではギャロップダイナが制覇し、また2着シンボリルドルフとは0.1秒差の3着に入り、2000mの距離でもGI級の相手と闘える事を証明]。続く次走マイルチャンピオンシップで、2着のトウショウペガサスに3馬身差をつけて連覇を達成し、この年限りで引退となりました。
その後優秀な産駒を残し、ヤマニンゼファー、フラワーパークと言ったG1産駒を輩出し、フラワーパークからも中山グランドジャンプを制覇したイロゴトシがいるなど、その血統は今でも活躍しています。
先駆けとして
まっさらな大陸を
ただ進むだけでは
先駆者とはなりえない
颯爽とした足どりで
地図を描き
この冒険の素晴らしさを
世に知らせながら
自らの価値も高めていく
彼が成し遂げたのは
そんな仕事だった
JRA「名馬の肖像」ニホンピロウイナー
85年、安田記念。
それは、革命だった。
マイル戦のために進化を遂げたその脚が、名馬の条件を塗り替えた。
何者も寄せ付けない、“マイルの皇帝”。
その馬の名は・・・
―2012年安田記念CM
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